何て素敵な写真の魔法

12月3日。
ワン・ツー・スリー!という、何ともポジティブな響き。(1/23もだね。)

今日はそんなポジティブデイ・12月3日の、遡ること89年前に生まれた人の話。

ある人は、彼についてこう言う。

「思い込みが激しく、若干・・・いや、かなり左寄りな思想且つ男尊女卑。
好き嫌いも激しく一度嫌いになった人に対しては、親の仇の如く徹底的に嫌い、
頑固で、人の言うことに耳を貸さない。」

またある人は、彼についてこう言う。

「とても優しく、いつもニコニコしている。
会った時はいつも自分のことを気遣ってくれる。
よく鼻歌を口ずさみ、大抵がご機嫌さん。」

一見、全く違う人物のことのようだけど、正真正銘、同じ人に対する心象である。

でも、どんな悪人でも、どこかに善い顔もある(・・・と信じたい)し、
どんなに周りから評判の人だって、
どこかにダークサイドは持っているもんじゃないかと思う。
悪人は徹底的に悪で、正義の味方が徹底的に善人なのは、
所詮フィクションの世界の話。
だって人間はそんなに単純じゃない。

そんな訳で、彼はある人にとっては、
きっと最後まで理解しがたい人物だったし、
ある人にとっては、とても優しくて大好きなおじいちゃんでした。

ちなみに後者はわたし。
そう、これはわたしのおじいちゃんの話。

生きていれば、今日89歳の誕生日を迎えていましたが、
残念ながら、この夏、還らぬ人となりました。

去年の年末は親戚集まって三宮でご飯とかしていたくらいなので、
まさか1年後にはこの世にいないなんて、去年の今頃は想像もしていませんでした。
周りの大人たちも「ああゆうのは長生きするタイプだ」とか言っていたので、
普通にしぶとく100歳近くまで生きてくれるものだと、どっかで思っていました。

しかし、今年に入って、急に調子が悪くなり、入院。
春先には「白血病かもしれない!もう数日かもしれませんので、
覚悟をしておいてください!」なんて医者から言われ、
でも結局は白血病ではなかったらしく、かわりに末期の癌が発覚。
この間も検査やら施設の問題やらで、病院を二転三転し、
一時帰宅もしてたけど、7月25日に永眠。
最初は春頃に、わずかな余命を告げられたので(誤っていたけど)、
その時から覚悟はできていたぶん、数年前のおばあちゃんの死よりは
心の準備をすることができたし、夏まで本当によく頑張ってくれたと思う。
末期の癌とわかったあとも、たぶんお医者さんが予想したよりかは、
長生きしたはず。

結局本人には、もう長くないことを誰も伝えなかったけど、
毎回お見舞いに行くたびに迎えてくれるその眼差しが、
なんとなく「これが最後かもしれない」と悟った感じに思えて、
本人も気づいていたのではないかと今更ながらに思う。
まぁわたし自身も毎回そういう気持ちで病室に足を運んでいたからかもしれないけど。

そんなに沢山は足を運べなかったけど、毎回そうゆう気持ちで会うことによって
「次はないかもしれない」という気持ちが場を大事にしてくれたので、
おばあちゃんの時ほどの後悔はない。
だけど亡くなってしまうとやはり、もっと行けば良かったと思ってしまう。
最後はもう、丸顔のはずのおじいちゃんのやせ痩けた頬を見るたび、
涙が出そうであまり直視できなかったけど。

おじいちゃんは薩摩の方の血を引いているので、
彫りが深いいわゆる南国顔で、年の割に背がすらっと高く、
趣味のカメラと、トレードマークのハンチングがよく似合う
カッコイイおじいちゃんでした。自慢のおじいちゃんでした。
小さい頃、応接間で聴かせてくれたレコードとか、
おじいちゃんに対するわたしの記憶は概ね「カッコイイ」が占める。

昔は客船のコックとして世界中を巡り、
母の話によると、3~4ヶ月に一度帰国しては、
トラック1台分くらいのお土産を持って帰ってくれたそう。羨ましい限り。

きっと世界の色んな国に行っているから、もっとそうゆう話を聞けば良かった!
と思っていたら、亡くなった後に整理していたおじいちゃんの荷物から、
昔の写真がいくつか出てきたのです。





いつのどこの国のどこの街かわからないけど、
確かにおじいちゃんの目に映ったこの景色が、
時間も国も街も飛び越えて今のわたしと繋がる。
何て素敵な写真の魔法!と、感激しまくりでした。


でも今回のことで、余命の宣告についてはかなり考えさせられた。
自分だったら教えて欲しいか欲しくないか。微妙なところ。
教えてもらえれば、荷物の整理できるし、大事な人たちに手紙も書ける。
行っておきたい場所、会いたい人、人生の清算に時間を費やすことができる。
けど一方で、わたしの場合、時の流れを憂いて、毎夜毎夜涙しそう・・・
ぶっちゃけ、気持ちがかなり落ちてしまいそう。
そう思うと、知らない方が幸せかなぁと思ったり。
生きているから、荷物整理しておけば良かった!とか、遺書を遺せば良かった!
とか後悔しそう・・・と思ってしまうけど、
死後に後悔なんて存在しないものね。
でもやっぱり、思い残して今生を終えるのは、不本意だしな・・・
と、もう考え出すと堂々巡りだったんだけど、
つい先程ひとつの回答にたどり着きました。

それは、お見舞いに来てくれた人たちが各々、
ありったけの思いの丈を書いた手紙をわたしに持って来てほしい。
死のことに直接触れることなく、昔の思い出や、
わたしに対して思っていたこととかを全てぶちまけた手紙を。
で、最後には「早く良くなってね!」的な文章を付けてくれると尚グッド。
突然こんな手紙を皆がこぞってくれることによって、
さすがに怪しむし、きっと何となく悟るけど、
みながこぞって死には触れないことによって、
都合のいい時だけポジティブなわたしが出てきて、大丈夫!よくなる!!
って、どこかで死を覚悟しつつも、現実逃避できる気がする。

そしたら、手紙をくれた人たちに返信という形でそれぞれに、
ありったけの思いを込めて、遺書の心づもりで手紙を書くことにする。

でも、その手紙の前に。
わたし、今年は喪中ですので、新年のご挨拶は控えさせて頂きます・・・。

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